フィンランドを代表する建築家アルヴァ・アールトの
公私におけるパートナーとして知られる
アイノ・アールトの展覧会を、
竹中工務店東京本店のギャラリーエークワッドで観た。
アルヴァ・アールト/1898-1976は
20世紀前半の、新しい技術や素材による
機能性や合理性といった新しい哲学を掲げた
モダニズム/近代主義の時代を生きた建築家だ。
フィンランドの首都ヘルシンキに生まれた
アイノ・アールト/1894-1949は、
ヘルシンキ工科大学/現アールト大学在学中に
教会堂や木工・家具工場で実習を積み、
卒業後いくつかの建築事務所勤務を経て、
4歳年下のアルヴァが1923年に立ちあげたばかりの事務所に
翌1924年/30歳で入所する。6か月後ふたりは結婚し、
以来25年間にわたり、仕事上のパートナーとして、
また妻として、二人の子供の母親として、
半世紀の生涯を力強く生きた先進的な女性だ。
220㎡の展示室には、
アールト事務所の初期の代表的なプロジェクトが
アイノの果たした役割とともに紹介されていた。
サナトリウム、個人宅、図書館などの設計において、
アイノはとくにインテリアデザインを担当し、
ときには福祉健康センター、農業協同組合ビル、夏の家など
彼女単独の仕事もあったようだが、いずれにしても、
ふたりの仕事は不可分に結びついていたようだ。
ガラスの器や、椅子やテーブル、テキスタイルなど、
より生活に密着した空間のデザインも、
アルヴァと共作で、ときにアイノ単独で行われたそうだが、
そのなかのいくつかは、テーブルウエアのiittala/イッタラや
家具のArtek/アルテックの定番として現在も愛されつづけ、
どこかで目に手にしている人も多いのではないだろうか。
とくに、アールト夫妻と友人等が共同で設立したArtekの、
脚のカーブが特徴的なバーチ材の椅子やテーブルは、
シンプルでどこか楽し気で、ニュートラルなところがすきだ。
会場には、
ふたりが建てた自邸と事務所が一体となった
アールト・ハウス/1935-36年のリヴィングの一角と、
同様に手掛けられた首都ヘルシンキのフォーマルな
レストラン・サヴォイ/1937年の一角が再現されていた。
それぞれにふさわしい適度な装飾性を備えた
ディテールや空間デザインからは、
自邸のリヴィングにおいてはあたたかさや快適さが、
レストランにおいてはエレガンスや清潔さが感じられた。
再現レストランに設えられたArtekのチェアとソファは
使用可ということで、壁に沿ったひとつづきの
濃いブルーの布が張られたソファで、ひと息つく。
ひかえめなBGMからは、
シベリウスの交響詩「フィンランディア」が流れていた。
後に讃美歌「やすかれわがこころよ」のメロディーとして、
またフィンランドの愛国歌として転用された美しい旋律が
どことなく新鮮に聴こえてきた。
北欧の短い日照時間、および
低い太陽高度による寒冷な気候は、暖炉やサウナ、
屋内の採光などの設計に反映されて、
建築と風土が密接に結びついていることを改めて感じた。
AINO AARTOをクローズアップした展覧会は
母国フィンランンドにおいても
まだ開催されていないそうなので、
遠いこの国にいながら接することのできた
実験的な美しい企画展だったといえるかもしれない。
主にアイノがデザインしたという湖畔をのぞむ夏の家
ヴィラ・フローラ/1926年で撮影された、
北欧の短い夏を楽しむ家族4人のプライベートフィルムが、
アイノの54年という決して長くはないけれども
充実した人生を象徴しているようで、印象的だった。